エゴサーチで傷つかない?(本を書く心がけ)
質問
結城先生は、苦情を言われたり、エゴサで傷ついたりしないのですか。どうやって心を守っておられるのか知りたいです。
解答
ご質問ありがとうございます。
まず基本的な話として、普通の強さの心を持っていて、著作をする人はエゴサーチ(自分の名前や作品名で検索し反応を調べること)は、しない方が無難といえば無難です。文章を書く人は繊細で敏感な心を持っている人が多いですので、読者さんの反応に対して、強いショックを受ける可能性があるからです。
ショックを受けるのは、必ずしも悪い評判や好ましくない反応とは限りません。他の人の作品と混同されたり、誤読に基づいてほめられることもあります。そういうものを目にすると、心おだやかで居られない作者さんも多いでしょう。
結城は、自分の名前や作品名で検索しています。ネットでの生活が長く、いろんなことを経験してきたので、ショックを受けることはあまり多くありません。
私の場合は、自分の心を守ることよりも、自分の作品に対して「読者は何を感じたのか」の方に興味があるため、たくさん検索しています。結城の本を読んで、喜んでくれたのか、不満を持ったのか、不満を持ったとしたら、どこがなぜ不満だったのか。そういうこと、読者の生の声をすごく知りたい。ですから、たくさん検索を掛けることになります。
ネットで検索して見つかる反応をダイレクトに受け止めるのは、ときに精神的に大きな課題となる場合もあります。でも、そのときに「自分の心を守る」ことよりも、「読者にとっての現実を知る」ことにフォーカスを移すのが大事だと思っています。
伝わりにくいので、もう少し書きます。結城が書いた本を読んだ読者が誤読して、内容に関して批判したとしますよね。その現象、その批判に対して「誤読だ」とすぐに押し返すのではなく、「私の本を読んで、このような誤読をする読者がいる」 いう事実をまずは認めるのが大事だと思っています。著者としての自分が何を願おうとも、事実は事実なので、それを認め、受け入れるのが大事だと思っているのです。
ある一人の読者の声というのは、宇宙における「一つの星の輝き」なのです。その存在を無視することはできない。それは不可能です。でも、一つの星が全宇宙を代表しているわけでもありません。そのように事実を事実として理解するなら、エゴサーチで見つかる反応にたとえ一時的にショックを受けたとしても、つぶれてしまう心配はありません。
内容的にまとはずれな批判が見つかることもあるでしょう。本を読まずに「きっとこういう内容だろうから、私は読まない」という種類の文章が見つかることすらあります。でも、そのような人を著者として批判することはできません。その人がそのように感じたのは事実だからです。
話が大げさになってしまうかもしれませんが、自分は「心地よい幻想」を求めるのか「事実や真実」を求めるのかという覚悟が大事だと思っています。
「覚悟」などという表現を使うと、何だか悲壮感が出てしまいますが、そういうわけでもありません。何のことはない、いつも自分が説明文を書いているときと同じなのですよ。「いったい何が起きているのだろう」という健全な好奇心。そして「ほんとうに大切なことは何だろう」と問い、本質を探る心。エゴサーチをするときでも、それが大事じゃないかと思います。
やっぱり、大げさになっちゃいましたかね。
ご質問、ありがとうございました!
※今回の質問は、名もなきライターさん(@writer_noname)からいただきました。
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年9月29日 Vol.183 より