今日の言葉が作るもの(日々の日記)
先日、たまっているメールを整理していました。
すると、未読メールの中に「結城さんは偽善者です」という主旨のメールが二通ほど見つかりました。
メールの要点はこうです。
結城さんがよく書く「愛に関する文章」は偽善的だ。
結城さん自身もできないことを、他人に要求している。
きれいごとでは世界は回らないのに。
以下は、このようなメールを結城に送りたくなった方への返信の形の文章になります。
まず最初に、もしも結城の文章があなたに不愉快な思いをさせてしまったなら、どうかおゆるしください。
結城は文章を書くとき、できるだけ率直に自分の気持ちを書こうとしています。つまり「私はこう感じている。こう考えている」という内容をできるだけまっすぐに、遠回りせずに書こうと努力しています。それがあなたに不愉快に感じられたとしたら、たいへんもうしわけありませんでした。
ここからの文章は、あなたに対する結城からのお詫びが半分で、そして、言い訳が半分になります。
* * *
結城は、人と人のコミュニケーションに非常に関心があります。
誰かが誰かに何かを伝えようとする。
伝わったか?
伝わらなかったか?
結城はそのことに非常に関心があります。子供のときも、そして現在でも同じように。ですから、結城がメルマガを始めるときも「コミュニケーションの心がけ」というタイトルを掲げたくなったのです。
* * *
ここから本題。
結城はいつも、
「愛とは自分よりも相手を優先することである」
「相手のことをゆるしてあげましょう」
「あなたはそのままでいいんですよ」
という文章を書きます。そのメッセージは、確かに「偽善的」といえなくはありません。
なぜ「偽善的」であるかというなら、上のようなメッセージを私は書きますが、私自身はそれをとうてい「実践」できているとは言いがたいからです。
つまり、あなたの主張、
自分が実践できないような《愛》を他人に勧めたり、
宣言したりするのは偽善的である
は妥当であるといえます。
しかし、私がいまこの文章を書いているのは、あなたの意見を全面的に認めることが目的ではありません。私がこの文章を書いているのは、
自分の《理想を言葉にする》ことは大切だ
と私が思っていることを伝えたいからです。
* * *
誰しも、特に若い人は、突っ込まれるのが嫌いです。理想を大仰にぶちあげてはみたものの、自分自身はさっぱりその理想に近づかない。自分は理想からほど遠い。そんな「理想と現実の乖離」を忌み嫌わない人はいません。特に若い人はそういうのが大嫌い。自分にこれ以上幻滅したくない。
でも、結城は思うのです。
理想をぶちあげずに、
理想を達成できるほど、
理想は甘くない、
と。
理想を言葉にせずに理想を達成できた人は、人類史上どれだけいるだろうか。
自分を甘やかすのはいくらでもできる。理想を語るのではなく「なーなー」ですませるのはいつでもできる。でも、あえて。だからこそ、ぜひ。《理想を言葉にする》のは大事だと思うのです。
理想を語る。あるべき姿を述べる。こうなったらいいなという思いを紙に書く。何でもいいけれど、ともかく「現在達成されていないけれど、本来あるべき姿」を思い描き、言葉にして表現すること。それは、重要な意味を持つ。結城はそのように思います。
理想を語れ。
ヴィジョンを謳え。
堂々と胸をはって。
多くの人が「そんなこと言っても、お前は何一つできてないじゃないか」とあなたに迫ってくるかもしれない。でも、こう答えればいい。
「あなたの言う通りだ。私はまだ何一つできてない。
でも、私が目指す理想はこれなのだ」
と。
* * *
近視眼的な人は、言葉の役割を限定する。すなわち「現在すでに成し遂げたもののみを語れ」と主張する。結城はそれに反対だ。言葉は力を持っている。だから、どんどん「宣言」するのがいい。自分が理想とすることを宣言する。あるべき姿だと思うことを言葉にして宣言する。
逆説的にいうなら、現在達成できてないことをこそ、言葉にせよ。私は、こっちを目指すと、こっちを目指したいと宣言せよ。私が向かうべき方向はこっちだと示せ。
人は「まちがったことを言ってはまずい」と思いがちだ。「うっかりしたこと言っては恥をかく」と考え、「見当違いのことを言っては笑われる」と萎縮する。
その考え方こそまずい。言葉は言葉だ。まだ現実になっていない。だからこそ、理想を語るのだ。それを現実化するために。
世の中には批判的なこと、否定的なこと、悲観的なこと、最悪のケースばかりを言葉にしたがる人がいる。もちろん、そういう人がいてもかまわない。けれど、それと同じくらい、肯定的なこと、楽観的なこと、そして理想論を語る人がいてもいいはずだ。
* * *
言葉はヴィジョンになる。
あなたは今日、どんな言葉を使いましたか。
あなたの口を通して、あなたがタイプする指を通して、どんな言葉を自分の外に放ちましたか。そのうちの何割が「世界はこうなってほしい」という理想だったでしょうか。
私はあなたを批判しているのでも、非難しているのでもない。私が言いたいのは、世界のひとりひとりが今日使う言葉が(言葉こそが)、明日を作り出すということ。スローガン的にいえば、
《今日の言葉が明日を作る》
のです。あなたはそう思いませんか。世界なんて大げさな話にしなくてもいい。私の今日の言葉が私の明日を作り、あなたの今日の言葉があなたの明日を作るのです。
未来を作るのは現在にほかならない。明日を作るのは今日にほかならない。でも、今日という日にはまだ明日という時間は現実化されていない。だから今日、言葉にするのです。「明日は、こういう日になってほしい」と。
(プログラミングでもそうです。インタフェースを定めてそれを実装する。今日はまだ実装が間に合っていなくても、インタフェースとコントラクトで明日を作ろうとする。今日はO(n)の実装しかないけれど、明日はO(log n)にしてやるからね)
* * *
私たちは、だから、自分が発する言葉にもっと耳を傾けるべきだ。自分が発する言葉に注意し、しっかりと理想を語るべきだ。
「はじめに言葉ありき」
言葉があり、宣言があり、設計書があり、プランがあり、契約があり、走り書きのアイディアメモがある。それを核として、壮大なものが誕生する。新たな未来が生まれる。でも、はじめにあるのは言葉だ。
今日、自分が発するささやかな宣言の言葉が、数年後、数十年後に大きく開花する。
* * *
二十数年前、結城は強い風が吹き抜ける電車のホームに立っていた。初めての本を書こうとしていて、なかなか進まなくて、
「本を書かせてください」
と神さまに祈っていた。まわりに誰もいなかったから、大声で祈った。
言葉だ。
一冊目の本を書いているわけだから、これまで一冊も本を書いたことはない。実績と経験をこれから積むわけだから、実績も経験もない。でも、言葉にした。求める明日を言葉にした。
いまにして振り返るなら、あの祈りは私にとって、とても大切な言葉だったのだ。
* * *
あなたは今日何を語る?
上司への愚痴か。
パートナーへの文句か。
現在の自分への呪詛か。
他者に対する思いやりの言葉か。
すぐそばにいて自分を助けてくれる人への感謝か。
未来へ向けての決心か。
あなたの今日の言葉が、あなたの明日を作る。
結城はそのように思います。
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※結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年1月5日 Vol.197より
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