ひと味ちがう一年に(仕事の心がけ)
※結城メルマガVol.161より
先日、ある会社で電子書籍事業を軌道に乗せた方の話を聞いた。電子書籍事業に地道に投資し、努力して立ち上げてきたとのこと。その人の話を聞きながら、結城は別のことを考えていた。
事業や会社というと、大人数で動く「組織力」を想像しがちだ。しかし「キーマン」がひとり居るかどうかで大きく方向は変わる。組織力によって調査したり運営したりするのは楽になるかもしれないけれど、「こっちに進もう」という方向を定めるのは少人数だ。
「こっちに進もう」というためには先見の明が必要だけれど、その「先見の明」が正しかったかどうかの判断には時間が掛かる。たとえば数年という歳月の後に、正しかった/まちがっていたがわかる。もしも、絶対にうまくいくことが保証されているとしたら、その判断は「先見の明」じゃない。
リスクが高いものを批判することは容易である。「うまくいくとは思えない」とひとこと言えばいい。そんなセリフは何も考えずに言える。心配なら「個人的には」と付け加えればいい。「個人的にはうまくいくとは思えないなあ」そして、ちょっと失敗したら「ほらね」と言えばすむ。
リスクが高いものを批判する人は多い。批判は容易だからだ。それに対して、高いリスクを取った人に敬意を示す人は少ない。あるタイミングでリスクを取った、その判断に敬意を示すことは大事である。それは「あの時点では、自分にその判断はできなかった」と謙虚に認める態度に通じる。謙虚になるのは困難だ。
「イノベーション」という単語はよく聞く。しかしイノベーションを起こすのに、すぐに目立てばいいとは限らない。時流を見据え、信念を持ち、ゴールをわきまえて、地道に進む人がいる。目立たなく、すぐには評価もされない。でも数年で押しも押されもせぬ立場に立つ人がいる。時代をつかんだキーマンである。やっかむ人も多いけれど、その判断やリスクテイクには敬意を示す方がいい。
もちろん「地道」にも限度がある。地道に進んだ結果うまく行かないことも多いだろう。基本は「一年」だと思う。事業的に何か大きなことを仕掛けていて、一年で何かのきざしが見えないとする。その状況では自分も支援者もつらいし、お金的にもつらい(つらくない人は好きにすればいい)。一年は一つの節目である。一年後に何らかの成果を(少なくとも成果のきざしを)出すのは、大事なことだと思う。
話はここで変わる。
でも、実は変わってない。今年、残念ながら「サクラチル」で入試に落ち、決意を持って浪人を選んだ人がいる。結城はそういう人をささやかながら応援している。がんばって勉強してほしい。
受験勉強に意味があるのかという人もいる。日本の大学なんてという人もいる。でも、もしも、自分で浪人という一年を選んだなら、一年くらいは(人によっては二年かもしれないけど)、最高の「本気」を出してみるのもいいじゃないかと思う。
若い時代に、真剣に考え、どうしたら自分の目的を達成できるのかを考える。真剣に考える。もっと考える。能力と時間と環境を見つつ、どう一年を過ごして努力するかを考える時間だ。
長い人生を考えると、結城はその一年は決して無駄にはならないと思う。もちろん、がんばりすぎて倒れたりしないような注意も必要だ。学力だけじゃなく、心と身体と心の健康も、自分が整えるべき要素の一つ。浪人を決めた人に、心からエールを送りたい。
さらに。
さらにもう少し一般化して考えてみると、どんな人も、時間という急流を下っている。この一年で何をするのか。どのポイントに力を注ぐのか。それを考えることには大きな価値がある。
お正月はとっくに背後に飛び去ってしまった。新学期の四月も、もうすぐ終わろうとしている。
よく考えてみれば、何に力を注ぐかは自分で自由に選択することができる。もしかしたら誰かから「うまくいくとは思えない」という無責任なセリフがやってくるかもしれない。そう、批判は容易だから。誰にでもできるから。そしてそのセリフをどうとらえるかもまた、自分の自由である。
今年。いつものような時間が流れているけれど、ここはひとつ、自分の静かなイノベーションを起こしてみるのもいいかもしれない。いつもとは、ひと味ちがう一年にしてみたい。
あなたは、どう思いますか。
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年4月28日 Vol.161 より