毎日書くのは大切(本を書く心がけ)
「グラタン」というコードネームの本は、ずいぶん以前から少しずつ書いてきたのですが、他の仕事が忙しくなると何ヶ月も間が空くことがありました。けれど先週は、ほぼ毎日書くことができたかな。
毎日書いて感じたのは「毎週一回と毎日一回では重みが違う」という当たり前のことです。
あるテーマで何かを書こうとしたとき、毎週一回では、どうしても「点」で終わってしまい、広がりません。
でもそれが毎日一回になると「点と点」が自然に繋がっていくように感じるのです。
一昨日も書き、昨日も書き、今日も書く。そうすると、今日の場所を書いていても、頭の中では「一昨日と昨日」の内容がちらちらと見え隠れします。そしてときどき「あ、これは一昨日のことと関連している」や「昨日書いたことと矛盾してるな」と気付きます。この気付きが大きいのです。まさに、点と点が繋がって線になっていく感覚です。
いま便宜上「毎日」と書きましたが、厳密には毎日ではありません。月は結城メルマガ、木はWeb連載を書いていますから「グラタン」を書いていたのは「火・水」と「金・土」になります。でも、そのくらいの頻度でも十分に繋がる感覚はあるようですね。
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毎日書いて感じたもう一つは「ごまかしが効かない」ということです。自分相手に「ごまかし」という表現も変ですが……。
たとえば、毎週一回の執筆だと、何か問題にぶつかったときに「来週の自分に丸投げ」する傾向があります。「ちょっと難しい問題が起きたなあ、じゃあ、今週はここまで」としちゃうのです。そうすると来週の自分はとてもつらい。一週間経って、記憶があやふやになっているところに加えて、取りかかろうとしたらいきなり難しい問題にぶつかるからです。モチベーションがなかなか上がりません。
それに対して、毎日一回の執筆はだいぶ違います。同じように難しい問題が起きても、無責任に「明日の自分に丸投げ」するのをためらってしまうからです。きっと「来週の自分」よりは「明日の自分」の方が近しい存在なのでしょう。あまりむげなことはできないのです。
そういう意味でも「毎週一回」よりも「毎日一回」の方が、進捗が良くなるのかもしれません。
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ちょっと話はそれます。
生物学者のメダワーは『若き科学者へ』の中でこう書いています。
ある問題を解くことに深く没頭している科学者は、それについて考えるために特別の時間を割り当てるのではなく、頭のなかでその問題が、秤の目盛盤のゼロの位置にあって、頭が他の問題に占められていない時には、頭のなかの指針が自動的にそこへもどってゆくのである。
文章を書く人も、これと同じかもしれませんね。天秤がひとりでに元に戻るように、ちゃんと現在書いているテーマに戻ってくるのが健全な姿。
あまり「いまはこれ、次はこれ、その次はこれ」のように、分銅を自分に乗せすぎるのはよくないのかもしれません。ちゃんと、自然に戻ってくる一つのテーマに集中するべきなのか。
とはいうものの、これはなかなか悩ましい課題なのですが。
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「毎日書くこと」の最大のメリットは、それが「習慣」になる点にあります。「さて次は何を書こうかな」などと考えることなく、すっと始められること。これは大きなメリットです。
書く仕事で一番つらいのは、仕事に取りかかるまでです。仕事を始めてしまえば、あとはしばらくは続きますから。だから、何も考えず、すっと始められるのはとてもいい状態といえます。
考えてみると、お気に入りの文房具を用意したり、お気に入りの場所に出かけたり、お気に入りの音楽を流したりするのはすべて、仕事に取りかかるまでの嫌な時間をうまくスキップさせるワザといえるかもしれません。
毎日書いていて、習慣になっていれば、そのいい状態をキープできる。これが「毎日書くこと」の最大のメリットだと思います。
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[追記]この文章で「グラタン」と呼んでいるのは、2018年に刊行した書籍『数学ガール/ポアンカレ予想』のことです。
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2014年11月4日 Vol.136 より
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