『老いに備える知的生活』と《小さな音叉》
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年5月10日 Vol.215 より
結城はときどき『老いに備える知的生活』という文章を書いている。これまでも何回か結城メルマガで書いてきた。
時間が過ぎれば誰でも老いるし、日本は高齢社会まっしぐらなのだから、自分がいま感じている知見は、誰かの役に立つだろうと思っている。もちろん、他人以前に自分の考えをまとめる役に立つのだが。
以下では、「文章の書き方の話」に始まって、「老いに備える知的生活」の話に移っていく。まだ固まっていないので、読みにくいのだけれど、ふだん思っていることを何とか言葉にしてみようと思う。
* * *
ある出版社から書籍巻末に付ける「解説原稿」を依頼されている。解説原稿なので当然ながらその書籍を読んで書かなければならない。そのために、
「書籍を読む」⇒「解説原稿を書く」
というステップを踏む。
書籍はそれなりの長さがあるので、短時間でこのステップを走り抜けるわけにはいかない。なので「書籍を読む」と「解説原稿を書く」というステップを意識して進める。
先月は「書籍を読む」というステップを進めていた。書籍を読みながら、気付いたことをEvernoteにクリップして置く。クリップしながら、解説原稿に書くであろう内容をメモしていく。書籍を読み終えれば「書籍を読む」のステップはおしまい。大量のメモがEvernoteに残された状態となる。
今月に入って「解説原稿を書く」というステップを進めている。いつものようにLaTeXのファイルを用意して、EvernoteからLaTeXに必要なメモをとりあえずコピーする。そして、その状態でいったんPDFを作成して眺める。当然ながら、そのPDFは「文」のレベルでは意味があるけれど、「文章」という形にはなっていない。順番はめちゃくちゃである。
そのようなPDFができたところで、「さて」と腕組みをして考える。
おもしろいもので、Evernoteにクリップしたり、LaTeXにコピーしたりという作業をしているうちに、これから書く文章の全体像がぼんやりと見えてくる。文章としてはまだめちゃくちゃなんだけれど、
・このくらいの長さの文章になりそうだな。
・こういう感じのところまで踏み込んで書くんだろうな。
・ここまではきっと書かないな。
そういう感じで全体の形がふわふわと捉えられてくる。ただし、全体の「形」は見えてくるけれど、まだ全体の「流れ」までは見えてこない。ここから「流れ」を作っていく。
LaTeXに並べられたメモを何回か眺めながら、
・関係のあるメモを近くに移動する。
・どんな話題を扱っているか、軽く分類する。
・明らかに外れている話題のメモは捨てる。
という作業を行っていく。こういう作業を続けていると、またまたおもしろいことに、だんだん「流れ」が見えてくる。つまり、
・どういう順序で読者に話そうか
というアイディアがわいてくるのである。文章は最終的には一次元の文字列にしなくてはならない。だから「順序」を見つけ出すのが大切だ。「順序」すなわち「流れ」である。
この時点でLaTeXのファイルの中に加筆していくことも多い。それは、メモの移動・分類・順序付けをやっているうちに、「その箇所を読者に説明している自分」のことをイメージするからだ。読者に説明するときの言葉が頭に浮かんだら、すかさずその言葉もファイルに加筆する。断片的な単語も有効だけれど、できれば最低でも「文」という形にしておく方がいい。でないと、その頭に浮かんだ内容が、執筆の最後まで生き残れないかもしれないから。「文」の形にしておかないと、忘れてしまうのである。
文章に書くべき内容がある程度まとまったら、そこに軽く見出しを付けるのもいい。最終的な文章に見出しが付くかどうかははっきりしないけれど、忘れっぽい自分にアイディアを示すために見出しを付けるのだ。
まとまりができ、順序も定まってきたら、文章にしたくてたまらないという気持ちが湧いてくる。何しろ目の前に、個々の文は意味をなし、順序もだいたいできあがった文章らしきものが置かれているのだ。整えるべき箇所もちらちらと見えている。
・ここには接続詞が必要だな。
・ここは複雑過ぎるから例を入れないとまずい。
・冒頭のこれは、最後でも繰り返すことにしよう。
・ここは思いつきで書いたけれど、ちゃんと本文に当たってしらべないと。
目の前にそんな具体的作業が見えてくると、とても楽しくなってくる。作業を進めるにつれ、文章は整い、くっきりと姿を見せ始めるからだ。
最後の段階では何度も頭から文章を読み返し、一貫性の確認を行う。今回の解説文はそれほど長くないから、そういう進め方で十分だろう。
* * *
ところで、このような文章の書き方というのが、なぜ『老いに備える知的生活』に関わるのだろうか。資料を読んでメモを取り、それを整理して文章にするなんて一般的ではないのか。
ポイントは、
「局所的な作業」
をどう生かすかにある。老いてくると記憶力や集中力が落ちるので、全体をまとめて考えるという
「大域的な作業」
が苦手になるのだ。
だから、意識して「局所的な作業」を積み重ねるのがいい。局所的な作業というのは、
・資料の一部だけを読んで何がわかったか(物理的な局所性)
・短時間でできることは何か(時間的な局所性)
といったことを意味している。
はじめに書いた「書籍を読む」⇒「解説原稿を書く」という二つのステップというのはまさにそれだ。自分の能力や時間に限りがあっても、作業を二つのステップに分けることで、全体の品質を担保しようというのである。
若いときはそんなこと考えもしなかった。とにかくやみくもにうわーっと作業を進めた。あっちをひっくりかえし、こっちで文章を書いたり。きちんと作業を分解して、順序よく進めるというのではなく、長時間どっぷりと一つの仕事に浸かるという進め方をしていた。どっぷりと浸かるような作業の進め方は、いまとなっては難しい。
いかにして全体の作業を分解するか。それぞれの局所的な作業をいかにそのサイズでまとめるか。そしてまとめたものをどう統合するか。そこに心を砕く。自分の能力の変化(老いともいう)に合わせて、自分の作業スタイルを変化させていく。それはとても大切なことだと考える。
* * *
ここまでは、ちょっぴりハウツー的な内容も含めた作業の話だった。
ここからは、とても理解されにくい話をする。謎めいていて、秘儀めいている話だ。うまく説明できる自信はない。
知的生活、特に知的な生産を行う上で「一貫性」は大事だと思っている。書く文章の内容という意味での一貫性もそうだけれど、作業の進め方という意味での一貫性もそうだ。まとめると「自分という存在の一貫性」である。「探し物をせずにすむために、未来の自分の行動を予測する」という話を前回の結城メルマガに書いたけれど、それにも通じる話だ。将来の自分はこうしているだろうと予測できるのは、自分という存在に一貫性があるからだ。
説明のために「人格の一貫性」という表現にしてもいいけれど、「人格」というと別のニュアンスが付加するから、「自分という存在の一貫性」といまは呼んだ。
で、何が秘儀かというとですね(急に敬体になったな)、「自分という存在の一貫性」に照らし合わせると、知的生産がはかどるのではないか、という仮説を結城は持っているのです。
何を言ってるか、さっぱりわかりませんよね。
うーん、どういう書き方をすればいいかな。
ちょっと別な書き方をしましょう。
「嘘をつく」というのは精神的なコストがとても高いものです。というのは、いったん誰かに嘘をつくと、その人には嘘をつき続けなければいけないから。そうですよね。でないと「あれ?きみは先日ちがうこといってたよね?」ということになる。
この人にはこういう嘘をついていて、あの人にはああいう嘘をついている……そんなことを管理してはいられません。
で、結城はいま、その逆の話をしたいのです。
老いてからの知的生活を充実したものにするため、特に知的生産性を高めるためには、「嘘をつく」コストを減らすのがいいのではないか、と考えている。倫理的な話で「嘘」といっているわけではありません。そうではなくて、純粋に手間の問題が念頭にある。
いつも、自分が、
「ああ、確かにそうだな」と心からいえることを書く。
いつも、自分が、
「こっちよりはこっちのほうがいいな」といえることを選ぶ。
そのような習慣づけをすることを、さきほどはまわりくどく、「自分という存在の一貫性」と表現したのです。
ふだんから「自分が心からそう考える」ことを中心に行動していると、記憶力の負担が減ります。前回どういうことを主張していたか、覚える必要がなくなるからです。それはきっと知的生活にプラスの働きをするに違いありません。
知的生活の全般について、「自分という存在の一貫性」(ほんとうは「人格」と表現したい)に照らし合わせて判断や行動を行いたい。
ここまで述べてきた話は、単に量的な意味だけではなく、質的な意味でもプラスになるはず。
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たとえ話で言うなら、自分の心の中心に、
《小さな音叉》
が存在しているのを意識するということだ。
その音叉の音は、それほど大きくない。けれど、その音叉がすべての基準になる。
私の活動のすべて、オーケストラのすべての楽器が、その《小さな音叉》を基準にして音程を合わせるように努める。
個々の楽器のチューニングは個別に行ってかまわない。それぞれを、《小さな音叉》にきちんと合わせればいい。そうすれば、オーケストラ全体の音もきちんと合うに違いない。
老いてくると、全体の課題をいっぺんに解決することが難しくなる。しかし、自分の心の中に《小さな音叉》が存在することを意識すれば、「老いに備える」ことができるのではないだろうか。
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結城は、最近、そんなことを考えています。
以上、
『老いに備える知的生活』と《小さな音叉》
のお話でした。
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