ほめられたら、素直に喜ぼう(日々の日記)
ほめられたら、素直に喜ぶのがいいですよ。
うれしいです。ありがとうございます!
のように喜ぶ。相手がほめてくれたことを喜ぶ。喜んで感謝する。これだけのことです。
これだけのことなんですが、でも、実は「素直に喜ぶ」のは意外に難しいのも確かです。
ほめられたとき、つい、
いえ、でも、わたしなんか(もごもご)
とはっきりしない態度をとってしまいがちだから。
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ほめる側になって考えてみましょう。
誰かをほめる。ほめたときに相手が、
いえ、でも、わたしなんか(もごもご)
と進んでしまうと、いささかほめにくくなるものです。
ほめられて喜ばない、という行動は、「わたしは、あなたの言葉を軽視しています」というメッセージになることすらあるのです。
Aさんが、Bさんを、面と向かってほめる。Bさんが、その言葉を必要以上に否定する。それは、Aさんの言葉を軽視していることになりかねない。だから、ほめられたときに否定しすぎないほうがいい。私は、そんなふうに思います。
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とはいうものの、ほめられたときに、
えっへん!
なんていばるのも変ですよね。
おすすめは「ほめてくれたことを喜び、相手の言葉に感謝する」ことです。
うれしいです。ありがとうございます!
これは、ほめてくれたことを喜び、相手の言葉に感謝していますよね。
ほめてくれた相手の言葉は、もしかしたら単なるリップサービスかもしれません。礼儀としてほめているだけかもしれませんし、あるいはまた、単にお世辞を言っているのかもしれません。
でも、相手がどんな「心」でそれを言ったとしても、相手の「言葉」があなたをほめているならば、素直に喜んで感謝するのがいいと思います。
相手の言葉に感謝するのは、決して失礼ではありません。また、感謝の言葉が、相手を不愉快にさせることもありません。
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ほめてくれた相手に対して、
そう言っていただけるなんてうれしいです。
ありがとうございます。
という素直な言葉を、明示的に伝えることは、とても大切だと思います。
「いえいえ、私なんか……」のように謙遜するのも悪くはありません。でも、必ず感謝を忘れないようにしましょう。謙遜だけで終わらせないように。
ほめられることに慣れていない人は、つい謙遜だけに終始しがちです。でも「謙遜しすぎは傲慢のもと」にもなります。
謙遜しすぎると、
・相手のほめ言葉を全否定して、
・自分の自己評価の主張を行う
という傲慢な態度になってしまうからです。
あなたが私をほめるという評価は誤りだ。
私は私のことをよく知っているのだ。
これは傲慢な態度ですよね。
「感謝の言葉」は、人間関係をやわらげます。
「感謝の言葉」は、豊かな人間関係の要です。
相手が言ってくれた「言葉」に感謝し、相手がそのような言葉を自分に掛けてくれた「事実」に感謝する。それは、コミュニケーションでとても大切なことです。
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ときどき、
感謝の気持ちがわかない相手に対して、「ありがとう」なんて白々しくて言えないぜ!
という人もいます。そんなふうに突っ張るのもいいけれど「感謝は習慣」です。
毎日、いろんな方に「ありがとうございます」と言うことは大切。いつも「ありがとう」と口にしていると、感謝すべきことがたくさん見えてくるからです。
逆説的な言い方になりますが、感謝の言葉によって、何に感謝すべきかが見えてくることも多いのです。
あなたが発する言葉が、あなた自身を導いていきます。
結城は、こんな聖書の言葉を座右の銘にしています。
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(新約聖書 テサロニケの手紙第1より)
いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝しましょう。
そうしていると、何が起こるでしょうか。
いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝していると、自分の人生が「喜びと祈りと感謝」でいっぱいに満たされることになります。私はこれを、この世における幸福の一つの姿であると思います。
そしてまた、人は「似た者同士」で集まるものです。喜んでいる人のところには、喜んでいる人が集まる。祈る人のところには、祈る人が集まる。そして、感謝する人のところには、感謝する人が集まります。
いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝することは、しあわせな人生のために大切なことだと思います。
次回、誰かにほめられたとき、ぜひ「ありがとうございます!」と喜び、感謝してみてくださいね。
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年3月1日 Vol.205 より