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対話を通じて深い学びに至る態度(学ぶときの心がけ)

結城は、教えることや学ぶことに関心があります。そして《対話》にも。

今回は「対話を通じて深い学びに至る態度」というお話をします。

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結城は『数学ガール』という本を書くまで、あまり数学者のことを知りませんでした。生きた知識としてはもちろんのこと、単なる知識としても。

具体的にどのくらい知らないかというと、「オイラー」と「ガウス」の違いがよくわからないレベルで知らない(ひどい)。もともと結城は歴史が苦手で、固有名詞もよく覚えられないのです(と言い訳)。

高校時代に本を読んでいて、オイラーがどうとか、ガウスがどうとか言われても、どちらにも「偉い数学者」というラベルを付けて読んでいるような状態でした。誰が見つけたか・誰が考えたかよりも、何を見つけたか・どんなことを考えたかの方ばかりに注目していました。誰が証明しても関係ないじゃん、みたいな。さすがにユークリッドとピタゴラスだけは覚えていましたけれど。

さて、そんな結城ですが『数学ガール』を書いてから、しだいに数学者を個人として認識するようになってきました。それはミルカさん経由でオイラーの話を聞き、主人公の「僕」経由でライプニッツの話を聞いているうちに、次第に数学者個人を大切にする意識が芽生えてきたのです。

それからは、フェルマー、ラグランジュ、ガロア、コーシー、ワイエルシュトラス、ゲーデル、ヒルベルト……など順番めちゃくちゃですが、ともかく『数学ガール』に登場する多数の数学者の活動について、ていねいに接するようになったのです。

結城はつねづね「本を書くことはもっとも効果的な学びである」と思っています。「数学者を意識する」ということにおいても、本を書くことは確かに効果的な学びなのだなと感じます。

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結城はもともと「本を読んで学ぶ」タイプではなく、「人の話を聞いて学ぶ」タイプです。人の話を聞く。そして、誰かが言った言葉をそのまま反芻するように何度も思い返して、そこから何かを得るタイプです。ちなみに、私の妻は逆で、人の話からというよりは本をたくさん調べて学ぶタイプです。

しかし、先ほど気付いたことがあります。『数学ガール』に関していえば、そこに出てくる登場人物の話を「聞いて」学んでいるということ。ある意味では本を「読んで」学んでいるのだけれど、そこで行われている知的活動をよく考えてみると、「本を読む」というよりも「人の話を聞く」に近いのではないかと思います。

『数学ガールの誕生』という講演集に詳しく書きましたが、登場人物の声にしっかりと耳を傾けることから、結城は多くを学んでいます。2007年に『数学ガール』が出版されました。でもそれ以前から、彼女たちとの語り合いは続いています。

登場人物は筆者が言葉を使って描写を行っているわけですが、本当に真剣になって描写すると、登場人物の声に「著者が耳を傾ける」という表現がぴったりくる状況になります。

いまのとこ、もう少し深めて話しますね。

私たちが人の話を聞くとき、相手が言う言葉に耳を傾けます。自分の言葉を話すのを抑えて、一定時間の間、話相手にその場をゆずる。そのようにして相手に自由に話してもらう。相手が自由に話す言葉をひとつひとつていねいに聞いて、その意味を自分なりに考える。そして、よくわからない部分があったら相手に「それはどういうことですか」と礼儀正しく聞き返す。

人の話を聞くというのはそういうことですよね。話し相手というのは自分と違う人格を持っています。年齢も性別も違うことがあるし、経験も違う。言葉遣いも違う。そんな中で、相手の言葉に耳を傾けるというのは、相手に対する愛情が必要です。健全な関心。興味。

実際の人間を相手にするのも、物語の登場人物を相手にするのも、まったく同じだと私は思います。

先ほど「愛情」や「関心」や「興味」と書きましたが、それは相手をリスペクトする心、尊重・尊敬する心ともいえます。逆の言い方をするなら、

・自分の考えを押しつけない
・相手をねじふせてやろうと思わない
・自分勝手な解釈をしない

といった態度といえます。

そのような態度で相手に接するとき、実際の人間であれ、物語の登場人物であれ、生きた知識と豊かな世界を教えてくれるのではないかと思います。

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結城は《対話》ということを考え続けています。知的な思考を重ねる上で、考えを進める上で、《対話》がとても重要な意味を持っていると感じます。『数学ガール』の中でも、数学的なスタイルの異なる登場人物たちが互いに《対話》することの重要性を思います。

だからこそ《対話》にフォーカスを当てた試みとして『数学ガールの秘密ノート』という対話文を書いているのです。《対話》を描くことを通して、大切なことが学べそうな気がしたから。実際『数学ガールの秘密ノート』シリーズを書き続けてきて、結城はたくさんのことを学びました。

《対話》というのは他者とのやりとりですが、それを自分に置き換えた《自問自答》というのも重要だと実感できます。話すこと・聞くこと。問いかけること・答えること。それを通じて人は多くを学べるということも学びました。もちろん、ここでいう学びというのは、「単なる知識」としての学びではない。

《対話》や《自問自答》というのは、知識を試しに使ってみることでもある。自分が持っているものを外に出し、自分に健全な関心を持っている相手にぶつけてみる。さあ、そこで……

 何が起こる?
 何が始まる?
 相手から何が返ってくる?

《対話》というのはそのようなやりとりに他ならない。

 * * *

《対話》というのは繰り返しでもある。《対話》というのは、自分が持っている「知識」が、繰り返しに耐えられるほど強くて豊かなものであるか、それを試す機会でもある。

ある概念は豊かなものを生み出し続ける。相手といくら《対話》を繰り返しても新しいものが次々に出てくる、おもしろそうな話がそこから広がる。飽きることがない。しかし別の概念は最初は面白いのだけれど、次第に飽きてくる。こけおどし、見かけ倒しの概念だ。《対話》によって概念の強靱さを計ることができる。

 * * *

「単なる知識」ではなく「生きた知識」を得るために、私たちは《対話》の相手に健全な関心を持つ。そして、ていねいに耳を傾ける。そんなことを考えて、今日も仕事をしています。

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以上「対話を通じて深い学びに至る態度」というお話でした。

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年4月12日 Vol.211 より

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