学ぶことは何の役に立つの?(学ぶときの心がけ)
「三角形の面積を求める方法を学ぶなんて、僕の人生で何の役に立つというのですか?」
「簡単なルールを与えられたときに、それを具体例に適用することは、誰の人生でもさまざまな役に立つと思うよ」
「そのルールの話と、三角形の面積の話と、何か関係がありますか?」
「具体例を見たときに、そこに隠れているルールを見つけることは、人生で大切かもしれないね」
「そんなにややこしくて抽象的なこと、僕にはできませんよ」
「うん。だから、具体的な三角形の面積を求めることで、それを学ぶんだ」
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……こんな一連の対話が心の中に降ってきて、私はその対話にじっと耳をすませていました。
この対話に対して「なるほど」と思う気持ちと「そうかな?」と思う気持ちと、両方があります。
この対話で語られているのは「三角形の面積を求めること」を「思考の訓練」と見なす態度のようです。思考の訓練として役に立つ、と。
それはそれで一理あるのですが「三角形の面積を求めること」は「それだけで十分に楽しいこと」じゃないだろうかとも思えます。
知識を得ること。技能を身につけること。新しいものを学ぶこと。それらがいったい「何の役に立つの?」という疑問は大切です。しかし、それら自体が「おもしろいかどうか」という基準も大事なんじゃないでしょうか。
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「学ぶことは何の役に立つの?」という問いかけに答えるのは難しいものです。答えはたった一つに限ったものではないでしょう。
この文章を読んでいるあなたはきっと「学ぶことは何の役に立つの?」と言われたとき、答えの一つや二つを思いつきますよね。具体的な答えかもしれない。抽象的な答えかもしれない。真っ直ぐな答えかもしれない。やや斜に構えた答えかもしれない。誰かを守るような答えかもしれない。誰かを責めるような答えかもしれない。
でも、きっと、もう一つ別の答えがあります。
ぜひ、考えてみてください。
結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年6月21日 Vol.221 より
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