「学校で習ったか」を気にする前に(学ぶときの心がけ)
数学を学ぶときに「これは、学校で習ったか」なんて、そんなに気にするべきことでしょうか。
おもしろい小説を読んでいるとき「この言葉は、学校で習ったか」なんて、気にしませんよね。
「学校でまだ習ってないことが書いてあるから、この本を読むのはやめよう」と考える人はいるでしょうか。もしもいるならば、それは、とても「もったいないこと」なんじゃないでしょうか。
・「学校」で「習う」こと
・「自分」が「理解する」こと
この二つの間には非常に大きな差があります。
「学校で習ったかどうか」を気にするよりも「自分は何をどのくらい理解しているのかな、理解できるのかな」を気にしたいです。
結城のところには、いろんな年代の方から、こんなメールが来ます。
学校時代は数学は不得意で嫌いだった。でも数学ガールを読んでから不得意だけど好きになった。
「不得意だけど好きになった」って、すばらしい。すごく嬉しい!
学生時代に点数が悪くても、数学の問題がそんなに解けなくても、数学の問題を解くことを一生楽しめるなら、数学的な読み物で頭をリフレッシュできるなら、すばらしいことだと思います。学校がどうとか、教育現場がどうとかというのとは独立した話です。
数学を自分なりに楽しめるって素敵なことだと思いませんか。
数学は奥が深いから、どんな天才がいくらがんばっても、すべてを知るわけにはいきません。 ということは、たとえレベルは違えども、みんな小さな数学徒といえますよね。
自分のレベルで楽しむ。もちろん、自分のわかるところ、わからないところは正直に認めつつ楽しむ。それは素敵なことだと思いませんか。
「数学ガール」シリーズに限りません。本屋さんや図書館に行けば、うなるほどたくさんの数学読み物があふれています。いろんな難易度の、いろんな方向性を持った本が読まれるのを待っています。だとしたら、楽しまなきゃもったいないですよね。
もともと「学ぶ」ってそういうことじゃないでしょうか。
それ自体が楽しみ。それ自体が喜び。役に立つならそれに越したことはない。でも、知らないことを知るだけでも、人類が達した知の深みにちょっとでも触れるだけでも大きなことだ。少し歩けば書店がある。図書館がある。そこには読まれるべく本が待っている。そんな環境を生かさなきゃもったいない。
学ぶことって楽しい。本を読むって喜び。
「学校で習う」こととは独立した楽しみであり喜びなんですよね!
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結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年5月12日 Vol.163 より
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