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古今和歌集を読む

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古今和歌集(こきんわかしゅう)から親しみやすい歌を読みます。やさしい解説付き。ちょっぴり優雅な言葉の時間をあなたに。
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2014年9月の記事一覧

有明のつれなく見えし別れより暁(あかつき)ばかり憂きものは無し

壬生忠岑(みぶのただみね) 古今和歌集625 百人一首30 #jtanka 明け方にまだ残っている月が薄情なものに見えたあの別れの朝から、夜明け前の時分くらい気が滅入るものは無くなりました。 「有明」は「明け方になってもまだ空に残っている月」のこと。 「つれなく」はク活用の形容詞「つれなし」の連用形で「薄情である」という意味。 「見えし」は「見え+し」。「見え」はヤ行下二段活用動詞「見ゆ」の連用形で「見える」の意味。「し」は過去の助動詞「き」の連体形。「見えし」は「

逢はずして今宵(こよひ)明けなば春の日の長くや人をつらしと思はむ

#源宗于朝臣 (みなもとのむねゆきあそん) #古今和歌集 624 #jtanka #短歌 あなたと逢わないままでこの夜が明けてしまったなら、私は(春の日のように)長いこと、あなたをつれない方だと思うでしょうか。 「逢はずして」は「逢は+ず+して」。「逢は」は動詞「逢ふ」の未然形。「ず」は打ち消しを表す助動詞「ず」の連用形。「して」は接続助詞で「……の状態で」の意味。「逢はずして」は「逢わないという状態で」の意味。 「明けなば」は「明け+な+ば」。「明け」は動詞「明く」の

寄る辺なみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき

読人しらず 古今和歌集619 #jtanka あなたのところには身を寄せる場所がありませんので、私の身はあなたから遠く離れています。けれども、私の心は影となってあなたのそばに寄り添ってしまったのです。 「寄る辺なみ」は「寄る辺+な+み」。「寄る辺」は名詞で「身を寄せる場所」の意味。「な」は形容詞「なし」の語幹で「ない」という意味。「み」は形容詞の語幹につく接尾語で「……なので」という意味。「寄る辺なみ」は「身を寄せる場所がないので」の意味。 「こそ」は「こそ……已然形

頼めつつ逢はで年経るいつはりに懲りぬ心を人は知らなむ

#凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) #古今和歌集 614 #jtanka 期待を持たせておきながら逢わないで何年も経つ、あの人のそんな偽りにも懲りない私の心を、あの人にこそ知ってもらいたいものです。 「頼む」は「相手に期待を持たせる」という意味の下二段活用他動詞。「頼め」はその連用形。 「つつ」はここでは逆接の接続助詞で「……にもかかわらず」の意味。「つつ」は反復を表すことが多いけれど、ここでは何年も逢わないでいるので逆接に解した。手紙などで何度も期待させておいて逢

古今和歌集仮名序(冒頭)

やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける 和歌は、人の心を「種」として、それがさまざまな言の「葉」になったものです。 世の中にある人ことわざしげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり 世の中に住む人の出来事や行事はたくさんありますので、心に思うことを、見るものや聞くものに委ねて言い表したのです。 花になく鶯(うぐひす)水にすむ蛙(かわづ)の声(こゑ)を聞けば生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける 花に鳴く鶯や水に住む蛙の

わが恋はゆくへも知らずはてもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ

#凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) #古今和歌集 #611 #jtanka #恋 私の恋は、どこへ向かうのかもわかりませんし、どこへ行き着くのかもわかりません。ただ、あなたに逢っている今こそが最高だと思っているだけなのです。 「限り」はここでは「最大限」の意味。 わがこいは ゆくえもしらず はてもなし あうをかぎりと おもうばかりぞ

命にもまさりて惜しくあるものは見はてぬ夢の覚むるなりけり

壬生忠岑(みぶのただみね) 古今和歌集609 #jtanka 命以上に惜しいものといえば、大好きなあの人に会う夢を見ていたのに途中で目が覚めてしまうことだよなあ。 「見はてぬ夢」は「見はて+ぬ+夢」。「見はて」は「最後まで見る」という意味の動詞「見果つ」の未然形。「ぬ」は打ち消しを表す助動詞「ず」の連体形。「見はてぬ夢」は「最後まで見ることのない夢」の意味。 「見はて」は動詞の未然形。未然形なので打ち消しを表す言葉が続くはず。「ぬ」は打ち消しを表す助動詞「ず」の連体形

月影にわが身をかふるものならばつれなき人もあはれとや見む(壬生忠岑)

壬生忠岑 月の姿に私を変えるなら、つれないあの人も「美しい」と思って——そして「かわいそうだ」と思って—— 私のことを見てくれるだろうか。 「月影」は、ここでは「月の姿」。 「ならば」は順接の仮定条件を表す「〜ならば」の意味。「ならば」は断定または性質を表す助動詞「なり」の未然形「なら」+接続助詞「ば」。「なれば」なら、順接の確定条件を表す「〜なので」の意味。この場合は已然形「なれ」+「ば」である。 「あはれ」は、ここでは「月のしみじみとした美しさ」と「あわれで気の毒

いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり

読人しらず 古今和歌集546 #jtanka どんな季節どんな時間でも人恋しくないというわけじゃないけど、秋の夕暮れとなるとむやみに人恋しくなるのは不思議なものだなあ。 「いつとても」の「とても」は、格助詞の「とて」と係助詞の「も」で、「いつといっても」「いつだって」の意味。 「あやしかりけり」の「けり」は詠嘆を表す助動詞。いわゆる「気付きの《けり》」である。はっと気付いて「ああ、〜だなあ!」と感じること。 「あやしかりけり」は「不思議だなあ!」だが、「あやしかりき

心がへするものにもが片恋はくるしきものと人に知らせむ

#読人しらず #古今和歌集 540 #jtanka 心が交換できるものだったらいいのにな。片思いはこんなに苦しいものなんだとあの人に知らせるのに。 「にもが」の「に」は断定を表す助動詞「なり」の連用形で「である」の意味。「もが」は「もがな」と同じ願望を表す終助詞で「ならいいのになあ」の意味。「心がへするものにもが」=「心が交換するものであるならいいのになあ」。 「知らせむ」の「む」は意志を表す助動詞で「しよう」の意味。 こころがえ するものにもが かたこいは くる

飛ぶ鳥の声も聞えぬ奥山の深き心を人は知らなむ

#読人しらず #古今和歌集 535 #jtanka #短歌 空を飛ぶ鳥の鳴き声さえ聞こえないほど深い山、そのように深い心の奥に秘めた私の思いを、あの人には知ってもらいたいのです。 「知らなむ」の「なむ」は活用語の未然形(ここでは「知ら」)につく終助詞で「…してほしい」という他者への願いを表すものです。ですから「知らなむ」は「知ってほしい」の意味。深い心の奥に秘めたあなたへの思い。それをあなたに「知ってほしい」という歌になりますね。 とぶとりの こえもきこえぬ おくやまの

秋風の吹きにし日より久方の天の河原にたたぬ日はなし

読人しらず 古今和歌集173 #jtanka 秋風が吹く季節になってからずっと、天の川の河原に立ってあなたをお待ちしない日は一日もありません。−−− 織姫より あきかぜの ふきにしひより ひさかたの あまのかわらに たたぬひはなし ※Photo by webtreats. https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/5459627931/

昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く

読人しらず 古今和歌集172 #jtanka つい昨日、田植えをしたばかりだと思っていたのに、いつのまにか稲葉をそよがせて秋風が吹く季節になったんだなあ。 きのうこそ さなえとりしか いつのまに いなばそよぎて あきかぜのふく ※Photo by webtreats. https://www.flickr.com/photos/webtreatsetc/5459627931/