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父から学んだ「教える」ということ

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教師だった父の思い出です。父親から「教える」ということを間接的に学んだエピソードをお話しします。
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#結城浩

二世代に渡って(日々の日記)

結城は読者さんから、こんな感想をいただくことがあります。 「私は結城さんの本を読んで学びましたが、最近になって私の子供も読み始めました」 このような感想には感激しかありませんね! 私は、このような感想をいただくと「中学校の教師をしていた父」のことを思い出します。父は長年教師をしていたので、親と子の二世代に渡って教えることがよくあったらしいのです。 あるとき、父が笑いながらこんな話をしてくれました。 授業で「よし、じゃあ〇〇に答えてもらおうかな」と生徒を指名した。する

父から学んだ「教える」ということ[Part 1](教えるときの心がけ)

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2012年8月21日 Vol.021 より こんにちは、結城浩です。 「教えるときの心がけ」のコーナーです。 今日は、いまは亡き父のことをお話ししようと思います。 どうして父の話が「教えるときの心がけ」になるかというと、私の父は中学校教師をしており、私は父からたくさん「教えること」を学んだように思うからです。 直接に「教えること」を学んだわけではないのですが、父の姿・父の態度を通して間接的に「教えること」について学んだのです。

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父から学んだ「教える」ということ[Part 2](教えるときの心がけ)

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2012年8月28日 Vol.022 より こんにちは、結城浩です。 「教えるときの心がけ」のコーナーです。 Part 1では、中学教師だったいまは亡き父の「雑談」の話や「職場見学」の話などを書きましたね。それから教師こそ「勉強」しなくちゃという話も。 今回はその続きです。 ●食卓にて夕食の食卓で、父はよくいろんなことを話してくれました。父は中学校の理科の教師でしたから、科学的な話…特に物理学的な話が多かったです。 電池の直列と

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意識して文章を書くようになったのはいつからですか(文章を書く心がけ)

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年2月23日 Vol.204 より ●テトラちゃんからの問いかけテトラちゃんから、  「意識して文章を書くようになったのはいつからですか?」 という質問をいただきました。 結城は『数学ガール』や『数学ガールの秘密ノート』を毎日のように書いているので、登場人物の数学ガールたちや「僕」とは、頻繁におしゃべりをしていることになります。先ほどの質問は、あるとき急に高校生のテトラちゃんが言い出したもの。 結城はとっさにうまくは答え

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