ネットでの言葉の選び方(コミュニケーションのヒント)
質問
SNSでは、刺激的な言葉を使うと大きな反応が得られるようですが、反応を得ることが目的になってしまった方も多いと感じます。
ネットでの「言葉の選び方」について、結城さんはどう考えていますか。
回答
ご質問ありがとうございます。
SNSであれ、メールマガジンであれ、ブログであれ、ポイントは二つあると思います。
一つは《相手のことを考える》という愛の原則を忘れないこと。
もう一つは「想像力」を持つこと。
結城は《相手のことを考える》ことを「愛の原則」と呼んでいます。刺激的な言葉、乱暴な言葉、過激な言葉を使って多くの反応を引き出すとき、その言葉を使う本人は「自分の都合しか考えていない」ことが多いものです。自分さえ言いたいことが言えればいい、自分さえ注目されればいい、自分さえ良ければいい。そういう意味です。自分の都合しか考えていないというのは、裏返せば相手のことを考えていないといえます。
刺激的な言葉は一時的には反応を引き出すことができ、メリットもあるかもしれません。しかし長期的にはどうでしょうか。長期的には発言者の印象を毀損してしまう可能性が高いと思います。「あの人はいつも刺激的な言葉ばかり使っている」という印象を周囲に与えてしまうからです。
「想像力」は、《相手のことを考える》に含まれているともいえますが、同じように大事です。特にネットでは重要です。SNSなどの公開の場で誰かとやりとりをしているとき、やりとりしている相手のことは意識できたとしても、なかなかそれ以外の人の存在まで想像するのは難しいものです。自分がネットで誰かに書いた言葉は、その相手はもちろん読むでしょう。しかし、何も言わずにじっと読んでいる多くの人が存在する。それを想像することはとても大事ですね。
自分が何かを主張するとき、賛成意見は想像できても、反対意見が想像できない人がいます。誰が考えてもこの主張は正しいはずだ!と思えば思うほど、反対意見の存在が想像できなくなります。これもまた想像力の問題です。世の中は多様であり、さまざまな人がそれぞれの価値観を持って生活している。そのことを想像できるかどうか。想像の枠から外れた人の存在を想像できるかどうか。
《相手のことを考える》という愛の原則と「想像力」。私は文章を書くときにこの二つを意識します。相手のことを考えているか、自分と相手以外の人を想像できているか。
「傍若無人」とは「かたわらに人なきがごとし」つまり「まるで周りに人がいないかのごとく振る舞う様子」を指します。周りに人がいないかのごとく振る舞うのは、世界に自分しかいないような振る舞いということです。それが傍若無人。私はそうなりたくないと思っています。
反応を引き出すことを目的に刺激的な言葉を使い続けるのは、悲しい行為です。それはまるで「さびしいよう!かまってほしい!」と世界に訴え続けるみたいに見えますから。それが悪いとはいえませんけれど、いささか幼い行為に見えてしまいます。もちろん、そうしたくなる場合があるのは想像できますが……
《相手のことを考える》こと。「想像力」を働かせること。私は、この二つを心がけたいと思っています。
ご質問ありがとうございました。以下は関連した読み物です。
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結城浩はメールマガジンを毎週発行しています。